艦隊これくしょん(艦これ)で軽空母の選択肢として根強い人気を誇る祥鳳(しょうほう)。実装から多くの提督に愛され、その歴史的背景や運用性能、装備適性が高く評価されています。

横須賀軍港にて(1941年12月20日)
wikiより参照
祥鳳(しょうほう)――史実における歩みと戦没までの詳細解説
軽空母祥鳳は、日本海軍が軍縮条約の制限を回避するために当初「剣崎(つるぎざき)」型の水母として建造し、後に空母へと改装した異色の艦船です。以下では建造から改装、主要作戦、そして珊瑚海海戦での戦没までを体系的にまとめます。
建造から空母改装までの経緯
- 起工:1934年12月3日、横須賀海軍工廠にて水上機母艦「剣崎」として起工
- 進水:1935年6月1日、姉妹艦「瑞鳳」「龍驤」と同時期に進水
- 就役(剣崎):1939年1月15日付で水上機母艦として横須賀鎮守府籍に就役
- 改装期間:1940年11月15日から横須賀工廠で空母改装工事実施
- 改名・編入:1940年12月22日付で空母「祥鳳」と改名。第一航空戦隊に編入
このように一度は水母として就役し、短期間の改装を経て軽空母として再出発した背景には、1930年代の海軍軍縮条約による「航空母艦保有トン数制限」を回避する巧みな法的措置がありました。
基本諸元(改装後)
| 主要項目 | 数値 |
|---|---|
| 基準排水量 | 11,163トン |
| 満載排水量 | 14,053.6トン |
| 全長 | 205.5 m |
| 水線長 | 200.0 m |
| 全幅 | 20.0 m |
| 飛行甲板長 | 180.0 m |
| 速力 | 最大28.2ノット |
| 機関 | ロ号艦本式重油専焼缶×4、吉田式ギヤードタービン |
| 発揮馬力 | 52,000 shp |
| 航続距離 | 7,800海里/18ノット |
| 乗員 | 約787名 |
| 搭載機数 | 零式艦上戦闘機×21、九六式艦上攻撃機×12、他補用機 |
| 兵装 | 12.7cm連装高角砲×6基、25mm三連装機銃×4基 |
これらのスペックは、同世代の軽空母と比較して高速性と防空火力を両立したバランス型と言えます。
主な作戦経歴
- 1942年2月1日 ラバウルへの航空戦力派遣
- 第六航空戦隊所属の九九式艦上爆撃機などを輸送・展開
- 1942年2月5~24日 南洋方面への艦載機増援輸送
- 祥鳳航空隊は零戦2・九六艦爆7→零戦6・九七艦攻12機を運搬
- 1942年3月上旬 ヤルート島占領作戦に参加
- 1942年5月4~5日 珊瑚海海戦
- 5月7日早朝、連合艦隊の大鳳・瑞鳳・龍驤とともにトラック泊地を出撃
- 米空母レキシントン級2隻(レキシントン、ヨークタウン)を索敵・攻撃
- 5月8日に大編隊で攻撃を受け、13発の爆弾と7本の魚雷を被弾
珊瑚海海戦での戦没
1942年5月8日、米空母「レキシントン」「ヨークタウン」艦載機による集中攻撃を受けた祥鳳は、被弾後も海面上で航空機の発艦を続けつつ戦闘を継続しましたが、15時過ぎに大きく航行不能となり、18時頃ついに艦首を上に大きく反転して沈没しました。日本海軍における「空母同士の交戦で最初に失われた空母」として歴史に刻まれました。
沈没地点:南緯07°17′、東経152°30′付近
史実的意義と教訓
祥鳳は、日本海軍の「条約制限の抜け道」として生まれ、短期改装で空母戦力を緊急投入した実例でした。しかし珊瑚海海戦での被害は、空母機動部隊への航空戦力の一極集中による脆弱性を露呈。以後、分散運用や護衛戦術の見直し、艦載機戦力の再編が急がれました。
以下に、軽空母「祥鳳」と「祥鳳改」のゲーム内ステータスや改装情報、消費・解体資材などを表形式でまとめました。育成や装備運用の参考にどうぞ。
| 項目 | 祥鳳 | 祥鳳改 |
|---|---|---|
| 改造可能レベル | – | Lv25 |
| 耐久 | 32 | 45 |
| 火力 | 0 / 19 | — / 29 |
| 雷装 | — | — |
| 対空 | 14 / 29 | — / 39 |
| 装甲 | 19 / 39 | — / 59 |
| 回避 | 28 / 49 | 28 / 59 |
| 対潜 | 0 | 0 |
| 索敵 | 34 / 69 | 35 / 79 |
| 運 | 10 / 49 | 12 / 59 |
| 搭載装備数 | 30(18-9-3) | 48(18-12-12-6) |
| 燃料消費 | 35 | 40 |
| 弾薬消費 | 35 | 40 |

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