軽空母「龍鳳」徹底解説

航空母艦

艦隊これくしょんにおける軽空母「龍鳳(りゅうほう)」は、史実の軽空母改装艦としての歴史的魅力と、ゲーム内での安定した燃費性能を併せ持つ存在です。本稿では、歴史的背景からステータス・改造ルートまで詳しく解説します。

改造完成し、全力公試中の龍鳳。
(1942年11月) wikiより参照

潜水母艦「大鯨」としての始まり

龍鳳はもともと、大鯨型潜水母艦の2番艦として1933年(昭和8年)に起工され、1935年(昭和10年)7月に潜水母艦「大鯨」として就役しました。当初から空母改装を念頭に置いた設計が盛り込まれており、艦体は滑走甲板や格納庫を増設しやすい構造とされていました。

軽空母改装計画の開始

太平洋戦争勃発後、日本海軍は空母戦力の増強を急務とし、1941年(昭和16年)10月以降、「大鯨」を軽空母へと改装する工事に着手しました。設計段階から艦首部のハープーン・アーチ構造や、後部にエレベーターを2基配置するプランが検討され、飛行甲板は全長177メートル級、搭載機数は30機強を想定したものです。

ドーリットル空襲による工事中断

改装工事中の1942年(昭和17年)4月18日、米軍による〈ドーリットル空襲〉が横須賀造兵廠を直撃。工事中の「大鯨」(工事名義上の名称)が被爆し、艤装用ドックが甚大な損害を受けたため、改装工期は大幅に遅延しました。

「龍鳳」としての完成と性能

遅延を乗り越え、同年11月30日に軽空母「龍鳳」として竣工・就役。主機は改装前のまま7450短縮馬力級(計52,000 shp)の艦本式重油専焼タービン+3基ボイラーでしたが、予測の28ノットを若干下回る26.5ノットを発揮。これは同型軽空母と比べても平均的な速力で、格納庫の整備性・機動性を重視した結果と言えます。

— 以降は、南太平洋海域での護衛・輸送任務を中心に運用され、生存率の低い軽空母戦線にあって戦争末期まで浮上状態を維持した数少ない艦の一隻として知られています。

実艦「龍鳳」が太平洋戦争中に参加した主な作戦・戦闘行動

日本陸軍第一航空戦隊向け輸送(1942年12月)

・新造艦として竣工直後、南方ラバウル基地進出予定の陸軍「九九式双軽爆撃機」を輸送。輸送部隊として〈内南洋部隊〉に編入される。

南方船団護衛・輸送任務(1943年3月–9月)

・南太平洋方面への輸送船団を護衛し、ニューギニアやソロモン諸島間を複数回往復。対潜哨戒艇としても機能しつつ、兵員・物資輸送を継続した。

マリアナ沖海戦準備行動(1944年6月)

・マリアナ諸島攻略作戦(〈A作戦〉)支援のため母港呉より機動部隊に合流。攻略支援航空隊の補助として飛行隊を随伴したが、主力空母撃沈後は護衛に徹底。

レイテ沖海戦支援(1944年10月)

・レイテ島沖会戦では、米機動部隊との交戦こそ免れたものの、直掩任務に従事。戦艦や巡洋艦の対空哨戒航空隊として、ビルマ沖〜比島間海域を行動範囲とした。

航空戦力喪失後の輸送・泊地防空(1944年末–1945年)

・空母機能を失った後は商船とともに「輸送特務艦」に位置づけられ、南西方面で水上機運用母艦に転用。終戦までトラック、シンガポール、西表島など間で輸送および泊地防空を担当した。

終戦時の戦没扱い(1945年8月)

・沖縄本島南方で米潜水艦・機雷による被害は免れたものの、所属部隊の大部分が制海権を喪失しており、事実上「浮島空母」として引き揚げ。終戦後、復員艦船として米英中仏に引き渡し・処分された

以下は、軽空母「龍鳳」の改造形態ごとのステータス比較表です。数値は(初期値/最大値)、消費は燃料/弾薬、搭載は合計機数を示します。

ステータス龍鳳改二 (高速)龍鳳改二戊 (低速)
耐久6361
火力0 / 470 / 45
装甲7473
雷装0/00/0
回避37 / 7540 / 79
対空32 / 8130 / 72
対潜32 / 4636 / 50
索敵33 / 8030 / 77
42 / 9842 / 98
搭載62(21-21-14-6)57(21-21-12-3)
速力高速低速
燃料/弾薬60/6040/50

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